媛媛講故事―21

                                 
八仙人の伝節 Ⅰ             何媛媛

 

 日本の人々の間で福をもたらすとしてよく知られている神様には「七福神」がありますね。中国の民間にも、日本の七福神のような存在の「八仙」があります。「八仙」は道教の仙人達で、中国の芝居、音楽、絵画、文学作品などに大変大きな影響を与えているので、中国人で「八仙」を知らない人はいないと言っても過言ではないと思います。

 この八人の仙人達はいろいろに組み合わせられてひとまとまりの集団として表現されることが多く、また仙人達はそれぞれ全く異なる雰囲気を持っており、ぼろぼろの服を纏うものがいれば、豪華な身なりのものもいますし、年寄りもいれば、若者もいます。

 女の人が混ざっているかと思うと、足の不自由な人物もいて、見れば見るほど本当に不思議なグループですが、それぞれ男、女、老、少、貧、富、貴、賤を代表しているそうです。

 八仙は伝説上の人物達のように思われていますが、実は、八仙は漢代から宋代に亘って輩出した道教の実在の人物達で、そのひとりひとりは歴史的背景に基づいた物語の持ち主ですが、今日に至るまでの間に人々は美しい夢や希望や願いごとなどをこの八人の仙人達に託すようになりました。

 八仙の人物について、明の時代以前は、いろいろな伝承がありましたが、明の以降に話が定着しました。

 では、八仙の名前とその姿をご紹介しましょう。


呂洞賓:
 中年の男性で頭に頭巾を被り、背中に剣を背負った読書人の雰囲気です。

鐘離漢:
 頭に子供のようにあげ巻きを結び、上着は紐で結ばないで、太ったお腹を出し、大きな団扇を持つ面白い姿です。

李鉄拐:
 足が不自由なので、いつも鉄の杖をついているのが特徴です。

張果老:
 ひげを生やし、帽子をかぶっているお爺さんで、いつも後ろ向きにロバに乗っている

蘭采和:
 衣装がぼろぼろ、片足が裸足で、片足は靴を履いていますが、貧乏な人に見えます。

韓湘子:
 笛を吹いている若い男です。

曹国舅:
 貴族が着るような豪華な服を纏い、役人の帽子をかぶり、いかにも尊い出身であるように見えます。

何仙姑:
 よく蓮の花を手に持って、優しく、綺麗な顔つきで、男ばかりの八仙の中の唯一の女性です。

 では、「八仙」達にはどんな物語があるでしょう。

 「八仙」の一人目として唐代の「呂洞賓」の名を挙げたいと思います。

 呂洞賓は唐の長安の読書人の家に生まれ、幼時期は大変聡明で、一度目を通したものは全て記憶したと伝えられています。そして気宇壮大な非凡な人間として成人しましたが、嫁もとらず、ひたすら科挙試験を目指して勉強に励んでいました。あるとき、試験のために上京し、旅館で一人の道士に会いました。その道士は風格や、目つき、立ち居振る舞いなど何処から見ても只者ではないという雰囲気を漂わせています。

 「お名前を伺わせて頂けますか?」と呂洞賓は訊いてみました。

 「私はいつも山や谷を歩き回っている。だから私を雲房先生と呼んでも良いぞ」

 と言いました。

 いろいろ二人で話しを続けていると、「雲房先生」は呂洞賓に向って「浮世を捨て放浪の旅をするのはどうですか」と誘いました。しかし、呂洞賓はまだ出世に未練がありこの申し出を断りました。

 その夜、「雲房先生」が粟のご飯を炊いている間に、呂洞賓はうとうとして夢を見ました。

 夢の中で自分は科挙に及第し、出世し、官界を得意満面で渡り歩き、権門の娘を娶りました。子どもや孫達もそれぞれ出世して、富貴を極めていました。ところが、呂洞賓は突然、自分でも理由の分らないまま重い罪を得、家財は没収され、牢獄に閉じ込められる身となって妻も子供も去ってゆきました。年老いてただ一人、風雨を凌ぐ家も日々の食べ物もなく、ただただ雪の中に震えて嘆き悲しんでいるところで目が覚めました。

 周りを見ますと、「雲房先生」のご飯はまだ炊けていません。夢の中ではなんと四十年もの歳月が経ちましたが、実際はご飯も炊けていないほどの時間しか経っていませんでした。初めて浮世の虚しさを悟った呂洞賓は「雲房先生」に従って修業することを決め、十回の試練を受けた成果により、仙人としての力を発揮するようになり、民のために悪魔を降服させたり沢山の善事を成し遂げて人々に尊敬されるようになったということです。

 呂洞賓が受けた試練については長くなりますので次回のお楽しみにしましょう。(続く)


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